小さなバーがつくる、地域の物語

2009.3.31 | TEXT

僕の事務所、OpenAの1階には「bigote(ビゴーテ)」という名のイタリアンバーがある。僕が経営しているわけではないが、同じ屋根の下にパーがあることをずっと夢見ていたら、ある日ビゴーテが本当にやってきた。

この店が引っ越してきたおかげで僕らの生活は一変することになる。仕事の合聞にちょっとパーに立ち寄れる。ミーティングにも人を呼びやすくなり、行き詰まったら気分を変えてパーで話すこともしばしば。さらに地域の仲間たちや、時には遠くからもフラリと友人力ずやってくる。いつの間にか、ここは地域の重要なコミュニケーション拠点になっている。僕らにとってかけがえのない場所だ。

街の環境を決定的に変えるのはおいしい飲食店だというのが持論だった。ビゴーテを見ていると、5年前に取材旅行で、NY、ブ口ンクスのある店のことを思い出す。

かつて小さなドラッグストアが角地にあった。ある日、そのドラッグストアを営む老夫婦が店を閉めてしまわなければならなくなる。そのとき初めて、住民たちは街の大切な場所を失うことに気が付く。立ち上がったのが近所に住むある夫婦。彼らは中華街にあった自分たちの店を、ここに移すことを決断する。街の声に押されたのだ。

オープン後、そのライトなイタリア料理はたちまち話題になり、今ではすっかり人気の店として定着している。人気の理由は、味ばかりではなくインテリアにもある。ドラックストア時代の内装が、かなりの部分そのままで残されているからだ。商品が並んでいた陳列棚やガラスケースには、今では乾燥パスタや食材などが置いてある。ドラックストアと書かれた看板もそのまま。そして、通りすがりの住民がオープンエアのテーブルに陣取っている馴染み客や店員に「よおっ」という感じで声を掛けていく姿も、昔と変わっていない。この場所が地域のコミュニケーションポイン卜であったということも、ちゃんと引き継がれている。

ビゴーテのあった場所はかつて「西村吉右衛門商会」という運送会社。屋号からして、江戸時代くらいから続いていたのではないだろうか。いかにも日本橋の裏路地らしい風情だ。

時は流れ、そこが今では人々の交流拠点になり、この街のゆるやかな変化の象徴になっている。場所は文脈を持ち、人々はそこに新しい自分たちなりの物語を上塗りしていく。そして蓄積されるのが都市の文化だ。そう考えると、このパーで過ごす一瞬一瞬がいとおしく思えてくる。

 

*こちらの記事は季刊誌『オルタナ11号(2009年1月号)」に「小さなバーがつくる、地域の物語」を」というタイトルで掲載された記事です。

オルタナ

(文=馬場正尊)