佐賀市柳町歴史地区の再生とエリア・リノベーション

2015.9.3 | TEXT

江戸時代に博多と海外貿易が唯一許された出島をつなぐ道は長崎街道と呼ばれ、賑わっていた。長崎街道は、長崎と小倉をつなぐ街道として整備され、賑わっていた。佐賀市の柳町もその重要な宿場町で、通りにはさまざまな店舗や銀行が並んでいた。しかし現在、そこはひっそりとした住宅街になり、明治大正時代につくられた建物だけが当時の面影をうっすらと残していた。

佐賀市はこのエリアを景観保存地区に指定し再生に乗り出した。そのプロセスのデザインと設計を任されることになった佐賀は僕の地元だ。中学、高校時代を過ごした思い出の場所が。当時は柳町にそんな歴史があったとはまったく思いもしなかった。

氷漬けの歴史資料館のような街にしたくなかったので、あえて建物文化財指定しないことを提案した。文化財になってしまうと活用にさまざまな制限がかかってくるからだ。時代に即した、いきいきとした使い方を導くためにはそれが障害になる可能性があった。文化財を扱うような気持ちで設計デザインを行い、ファサードは当時の姿を再現しながら、内部は現代の使い方に対応した洗練されたデザインにすることにした。

もう一つの工夫が、リーシングである。工事に着工する前、設計の段階でこの空間を活用してくれるテナントを募集した。そのテナントと会話をしながら詳細のデザインをつめていく。使う側に空間上の愛着を持ってほしいし、建物や町ができるプロセスに参加してほしいと思ったからだ。こんなふうな町になる、というスケッチを描いて、その風景を共有できるテナントを公募で集めた。

この春、その柳町歴史地区の再生が一区切りを迎えた。10の新しいテナントが江戸末期から明治初期にできた建物を使って営業を始めている。地元の伝統織物の工房、和紅茶の専門店、IT企業が運営するカフェ、写真スタジオ、若いデザイナーやプログラマーのスモールオフィスなど、思いがけない組み合わせがそこでは生まれている。

興味深かったのは彼らが、町が完成する前に町内会のようなまちのマネジメント組織をつくったことだ。行政まかせではなく、自分たちの街を自分たちで考え、先導し、マネジメントし、稼げるエリアにするための組織組織というよりチーム、といったほうがニュアンスを正しく伝えているような気がする。

新しい手法と、新しいデザインと、新しい住民たちによって作り上げられる柳町歴史地区。これが地方都市のエリア・リノベーションのひとつのモデルになればいいと考えている。

 

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*こちらの記事は季刊誌『オルタナ41号(2015年7月29日発売)」に掲載された記事です。オルタナ

(文=馬場正尊)