東京イーストエンドツアー2

2003.6.5 | TEXT

 

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東京イーストエンドツアーに行ってきた。

REALTOKYO主催 、そして馬場がナビゲートで、新川・築地・日本橋を巡るツアー。40人以上がゾロゾロと集団で動き回る。街角に、ちょっと変わった古いビルがあると一斉にデジカメのシャッターを切る、かなり不思議な集団であったに違いない。参加者も、RTというウェブサイトを象徴するかのように、なんかディープな人ばっかだったのが印象深い。おかげで、最終地の阿野太一くんのスタジオでのRT Barでのトークセッションは充実したものだったと思う。ツアーでは主にRされた古いビルやコンバージョンされたオフィス、もしくはちょっとした工夫を加えれば、なにかが起きそうな空き物件を見てまわった。それが主な目的だったが、日頃あまり行くことのない中央区を違う視点で見て回ったこと自体、新しい体験なのではなかったか。

新川のギャラリーは、もともと紙問屋の倉庫だった。そこが現代美術のギャラリーになっている。佐賀町のコンテンツが移動してきたのが主だが、ここからも新しいスターが生まれるのだろうか。ちょうど作品の搬入が行われていた。倉庫だった空間は、そのまま作品の出し入れにも最適のようだ。

築地市場の隣のコンバージョン物件を見た。ここは比較的予算が押さえられているようだ。窓からは築地市場のなかが一望できる。もうすぐ築地市場も移築され、市場を中心にして広がりを見せていた出店街も同時に消えてしまうことになるだろう、それは残念なことだ。この日は、土曜の市が跳ねて喧噪の名残が残っていた。この一帯の場所もいやおうなく変化を迫られる。今のところこの巨大な敷地が何になるのか、都でも区でも具体的な計画が進んでいるわけではない。都心の一等地、市場であったという特殊なコンテクスト、それらが計画に対し暗黙にプレッシャーをかけているようにも思える。ただ、やはりこのエリアはなんらかの突出した機能を持った場にすることが似つかわしいように思う。喧噪の空気はそのまま次のプロジェクトに持ち込んで欲しい。そうしないとさらに東西格差は広がってしまう。

東日本橋では「第一コスガビル」という、昭和5年に建てられたビルを見せてもらった。鹿島建設がまだ鹿島組と呼ばれていた頃、初めてのRC造として建てたのがこのビルで、ある意味記念碑的なものだ。ビルのファサードは美しく、とくに角地の円形の階段室の部分は今見ても新しい。部屋のなかには、机に足を投げ出して煙草を吹かしているハンフリー・ボガードがいそうだ。地下には使われていないボイラー室があり、それは不思議なオブジェに見える。とにかく独特の味のあるビルだ。そして、そのあるフロアが空いている。ツアー参加者は、歴史建造物を見ているのか、空き物件を見ているのか、混同した様子だったのが、またおかしかった。

書き出せばキリがないが、なんらかの経緯を経た街やビルを、その経緯を想像しながら見て回るというのは、それなりに楽しい作業ではあった。
RT Barでは、どうやっておもしろい物件を探すのかといった具体的なノウハウの話から、もうちょっとマクロ視点での変わりゆく都市構造まで、話題は多岐に渡った。水戸芸術館のキュレーター3人の参加者から(ほんと、豪華でクセのある参加者ばっか・・・)は、地方都市でのRの可能性についての問題提起があった。それはそれで広がりを見せそうである。

25度を越す気温のなか、長い時間歩きつづけ、おまけに僕のスケジューリングが甘くて早足になり、トライアスロンのようなツアーで、たぶん3kgくらい痩せることができたんじゃないだろうか。参加者のみなさまお疲れさまでした。
また、こういった機会があればやってみたい。

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P.S.
いくつか展覧会について。
渋谷駅の東口、東急文化会館がもうすぐ姿を消すことになる。
最上階の8階にはプラネタリウムがあり、東京育ちはほとんどの人が幼い頃、課外授業で行ったことがある場所であり、田舎育ちはパンテオンという名前の巨大な映画館のせり上がる客席の角度と、そこにビッシリと人が埋まっているのを見て、あらためて「東京って都会だなあ」と実感する場所であった。
このビルは1956年に建設されている。渋谷で初めて建ったRCの大型ビルで、建設当時は、まだなにもない渋谷に忽然とコンクリートの塊が降りてきたようだったという。それから50年近く、このビルは足下に渋谷の変化を見てきた。
先週末から、この8階のプラネタリウムで『meets』という展覧会が行われている。建物のお別れ会、みたいなものだ。
建物の設計は、ル・コルビュジェの事務所で働き日本に帰ってきた坂倉準三。あまりに身近な風景として馴染んでしまっているために特別な視線を向けていなかったが、ちゃんと見ると、そこにはモダンの、コルビュジェの、坂倉の、いろんな要素がかいま見える。ひたすら成長してきた日本の歴史の積層のような建物だ。渋谷駅からのブリッジに設置されている看板など、高度成長の匂いがしてなかなかいい。
『meets』というのはいろんな含意があって、交通、人々、文化、時間などの交差なのだと思う。この建物を軸にしたさまざまな「meets」が表現されている。例えば、映画館の緞帳(どんちょう)の絵柄デザインをコルビュジェがやっていたことが判明。1956年建設当時の貴重な渋谷の風景写真が、偶然にも坂倉事務所に残っていた。おそらくこの展覧会がなければ発見されないままだったかもしれない。一見の価値あり。
窓のあちこちに100人の表現者たちによる渋谷への一言がちりばめられ、渋谷駅を透かして眺めながら、それらの言葉を発見するのも気が利いている。現代と過去のボキャブラリーが混濁した不思議な空間になっている。

この展覧会にも、R-projectの面々がいろんな角度から関わっている。昨年、東京デザイナーズブロックで壊されるのを待っていた青山マンションをテンポラリーなギャラリーに変えて以来、すっかりクセになっている模様、手慣れてる。
全体キュレーションを森ビル、MOMAでキュレーションをやってた原田幸子さんが行い、空間はみかんぐみの竹内昌義さんや僕の大学同期の橋本くん他いろんな建築家が知恵を出し、グラフィックはブルース・マウの事務所を先日辞めて来日したマリス・メズリスが行い、映像をグランムーブ、写真を阿野太一、イデーの協力、そしてたくさんの学生ボランティア・・・豪華なメンバーで低予算、短期間、ただし高緊張で一気にやったスピード感を感じることができる。ある歴史の最後の瞬間の大きな変化は、しばしばなぜか美しい。6/30まで。

展覧会をもうひとつ。
ワタリウムでやっている、伊藤忠太展。相変わらずマニアックで良質な展覧会だった。伊藤忠太がいかに不思議な人物であったのか、そして建築界の巨人だったのかがよくわかる。驚愕したのがまともな乗物のない時代に今でも行くことが困難な世界中の土地を踏破している足跡。そして、学生時代に描いた絵の美しさ。建築家の他に冒険家でも画家でもあったわけだ。また、紙のきれっぱしにメモしてある不思議なスケッチ。建築に時々顔を出す不気味な造形やかたちのルーツをそこから読み解くことができる。
とにもかくにも伊藤忠太ワンダーランド。

今度、7/6(日)建築家を中心に400人も(!)集まったサッカー大会が行われます。
なぜか、サッカーフリークが多い業界みたいです。

 

*こちらの記事はWEBマガジン「REAL TOKYO」に「東京イーストエンドツアー」というタイトルで掲載された記事です。

(文=馬場正尊)