TSUTAYAとスタバが出現した武雄市図書館

2014.2.28 | TEXT

武雄市図書館に行って来た。樋渡市長との対談をする機会を得たからだ。人口五万人の小さな街の市立図書館のなかに、TSUTAYAとスターバックスを入れたことで、この図書館の知名度は全国区になった。ちなみに僕は、同じ佐賀県の伊万里市出身で、中学高校は武雄の隣の佐賀市で過ごした。まさか地味で特徴がないと思っていた武雄が、図書館のリノベーションによってこんなことになろうとは夢にも思っていなかった。果たして、そこで見た風景はどんなものだったのか。

ところで最近、図書館に行きましたか? 読みたい本があればネットで探し、欲しい本は通販で翌日には自宅に届く。かつて図書館が担っていた役割はすっかりインターネットに移行してしまった。この先、図書館は存在するのだろうか。デジタル化で消滅するビルディングタイプなのだろうか。

人口5万人の佐賀県武雄市も他の地方都市と同じように、図書館は必要不可欠だが、市民のニーズに合わせたサービスを維持していくのは、財政的に大変な状況だった。そこで武雄市が打ち出したのは、蔦屋書店を運営するCCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)に、指定管理者制度を用いて図書館の運営・管理業務を委託すること。CCCは図書館に併設されたCD・DVDレンタル、書籍の販売などの自主事業と委託費の組み合わせで収支を合わせる。年中無休で午後9時まで開館され、利用者は画期的に増えた。支出を抑えられた行政にとっても、新規事業に着手したCCCにとってもいいシナリオだったようだ。

実際、行ってみると図書館とTSUTAYAの融合は思った以上に踏み込んだものだった。まずスタバでコーヒーを買って、それを片手に本棚の間を散策してみる。飲物を持ったままでいいのだ。本棚を物色すると、そこには貸している本と売っている本が混在している。タグでそれを分類している、本の配列も旧来の図書館とはまったく違い、本屋のように趣味や志向によってセグメントされ、わかりやすい。

最新の雑誌が平積みで置かれ、すぐ横のテーブルに持ち込んで閲覧可能。それは六本木TSUTAYAでの、いつもの行動パターンと同じだ。しかし、ここは九州の小さな街、武雄なのだ。一緒にいた、地元で小学校の先生をやってる僕の妹は「ここだけ、佐賀じゃなかごたるね」とつぶやいたのが印象的だった。

樋渡市長との対談のなかで、この掟破りの図書館を実現するまでのエピソードの一端を聞いた。さまざまな行政手続きをぶっ飛ばし、議会のコンセンサスもすべて後回しで、短期間でやり切ったプロジェクトのようだ。まあ、そうでもないと実現できなかっただろう。

行政の施設なので個人情報の問題や、民間企業にここまで自由な運営を委ねていいのかなど、規制の慣習からはつっこみどころ満載で、地元でも大きな反響と軋轢があったようだ。

 図書館とは思えないくらいの人口密度、適度なノイズのなかで読書や会話を楽しむ空間は、今までの図書館のように静まりかえっていなければならない空間より心地よかった。バギーに子どもを乗せた若いお母さんが、コーヒー片手に本の間を気楽に歩く姿を見ると、やはりこの図書館は正しいと確信が持てる。

 

 今、図書館はアイデンティティが問われている。図書館ばかりではない。さまざまな行政施設は、その運営管理が大きな負担となっている。武雄市図書館は、図書館のエポックであると同時に、行政と民間の連携形態のモデルでもある。

 

*こちらの記事は季刊誌『ケトル vol.16(2013年12月27日発売)」に「TSUTAYAとスタバが出現した、話題の武雄市図書館に行って来た」というタイトルで掲載された記事に加筆したものです。

ケトル

(文=馬場正尊)

僕のインタビュー論、 言葉を探しに。

2014.2.23 | TEXT

僕はかつて雑誌の編集長をしていて、その頃はたくさんの人にインタビューを行った。今ではインタビューを受ける方が多いのだけど、人の話を腰を据えて聞く、という仕事は大好きだ。日本語では「傾聴」ということになるだろうか。その人が何者で、どのようなプロセスでここに立っているのかを探って行く作業がいい。

今、新しい本の取材を始めてる。この時代の、パブリック空間のつくり方を探求する本。インタビューを中心に構成しようとしている。それで、僕が気になって仕方がない人々に対しロングインタビューを始めた。久々の感覚だ。その感覚を思い出しながら、僕なりのインタビュー、人の話を聞く技術について書いてみたい。これ日常的にもけっこう使える。例えば女の子にも・・・?

僕のインタビューはいたってシンプルだ。

・ まずその人の仕事をしっかり調べる(当然です)。

・ 聞きたいことを箇条書きにする(具象から抽象へと質問を並べる。最初は具体的なことが話しやすく、空気がなごんできたら抽象的な話題へと展開)。

・ 成功について聞く。

・ 失敗について聞く(そこに本質が隠れていることも多い)。

・ その人もしくは話題の本質を射抜くひとつの言葉を探しながらインタビューを進める。

僕のインタビューは基本的にこれを繰り返している。

もちろん、与えられた時間によって方法はずいぶん違っている。10分しかない場合はいきなり本質に切りこまなければならないし、あらかじめ答えを想定したような質問になってしまうこともあるだろう。1時間以上ある場合は、多少は本質のまわりをウロウロしてもいい。そうしているうちに、相手の言いたい本来のことが像を結んでいくこともある。

インタビューとは、その人の思考の海の底にたまっている言葉を、質問を投げかけることによって攪拌する作業であると思う。かき混ぜ過ぎてもいけない、シンプルな質問で相手に数多く話させる、それがいいインタビューだ。そして、巻き上げられた言葉の中から重要なフレーズを丁寧にすくい上げる、そんな感じだ。

人間は考えていたとしても、それが言葉や文章といった具体的なフォルムにまでは至ってはいない場合が多い。イメージの塊のようなもので、インタビューは時として、その雲のようなイメージを言葉へと固める作用を起こすこともある。例えば、ある単語がポッと出た瞬間から、その人が抱えていたイメージが具体的な言葉に置き換えられて、スラスラと口から溢れ出す。インタビューという行為が言葉への定着をアフォードしている。そういうインタビューができると、とてもうれしい。インタビューとは、僕にとって言葉を探すための手段である。

あまりメモはとらない。その代わり、できる限り相手にコミットしようとする。まずその人がどんな人間なのかを知りたいと素直に思う。その思考の体系をつかみたいと思う。メモは会話のなかの輝く言葉だけをピックアップし、それだけを書くにとどめている。それで十分話の前後は記憶され、つながっていくものだ。

コミットメント、それがインタビューにとってはとても重要な要素だと思っている。僕の好きな二人の作家が、共にインタビューをベースに作品をつくっている。トルーマン・カポーティと村上春樹。その両方がコミットメントという単語を使って自らのインタビューを説明していた。カポーティの膨大なインタビューの集積から生み出されたノンフォクション小説『冷血』。そのインタビューの際、メモはまったく取っていないと言われる。そのかわりインタビュー相手へのコミットメントに全力を注いだ。

村上春樹のインタビュー集『アンダーグラウンド』の「はじめに」に、その本におけるインタビューの方法が率直に書かれている。その真摯な姿勢に感動し、そして実践的な意味でも学ぶことはとても大きかった。それを読むことを薦めたいが、そのなかで相手へコミットメントと距離感の置き方についての記述は、分野が違っていて、仕事やプロジェクトのためのものだとしても十分に参考になると思う。

二つの作品から、聞き手によって、同じ人からもたらされる情報量も、密度も、そして言葉の質もまったく違うものになるのだということを学んだ。だからインタビューという作業は、質問する側の資質も問われているものだと思う。それでもインタビューは、その人の人生の一部を追体験するようで、好きな作業のひとつだ。

2.22 TRAVIS × 神田シャルソン

2014.2.20 | 未分類

 

2/22(土)、OpenAではオフィス1FのTRAVISにて

神田シャルソンに参加します。

 

神田シャルソン公式HPはコチラ

神田シャルソンのfacebookページはコチラ

 

TRAVIS_HP

 

 

 

『TRAVIS限定オープン』

2014/2/22(土) 10:00-17:00

東京都中央区日本橋本町4-7-5 1F (OpenAオフィス1F)

アクセスマップはコチラ

 

神田の街をめぐるソーシャルマラソンに

「給水スポット」ならぬ、「給住スポット」として

ランナーの方に向けて、住まいの相談にのったり、飲み物を提供したり、

レモネードスタンドになったり、オフィススペースを提供したりと、1日限りのおもてなしをします。

kandacialthon_travis

 

 

TRAVISとは…

元Coffee standだったOpenA事務所1Fの空きテナントをリノベーションし、この冬ひそかにオープンしたシェアオフィス兼イベントスペース兼ミーティングスペース。春から、募集開始予定です。

 

神田シャルソンとは…

「シャルソン 」とは「ソーシャルマラソン 」のこと!
マラソンと違って、コースも無ければ、競争する事もありません。気になるお店や、ビュースポットでは寄り道OK!
走っても、歩いても、自転車でも、タクシーでも(? )地域の魅力を発見し発信する。それが、「シャルソン 」です!
今回は神田エリアで開催します!是非参加してみませんか?

神田シャルソン公式HPはコチラ

神田シャルソンのfacebookページはコチラ

 

レモネードスタンドとは…

アメリカから広まりを見せる小児がん支援のためのレモネードスタンド。レモネードスタンドジャパンでは、小児がん、AYA(Adolescent and young Adult(思春期と若年成人)の略)世代のがん経験者の支援、啓発、研究推進プロジェクトです。

レモネードスタンドのfacebookページはコチラ

(OpenAでもこのプロジェクトに賛同し、神田シャルソンにてレモネードを提供します。)

 

シャルソンに参加していない方も、お気軽にお立ち寄りください。

当日は、OpenAスタッフがお待ちしております。もしかすると東京R不動産メンバーもいるかもしれません。

 

 

団地をホテルにするアート、 「サンセルフホテル」が浮かび上がらせたこと。

2014.2.18 | TEXT

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この二年間、取手アートプロジェクトの取り組みとして、郊外の団地をアートのフィールドにして活動する仕事に関わっている。そのプロセスのなかで直面したのは、この時代に何を持ってアートと呼ぶのか、それが何をもたらすのかという問題だった。

一枚の絵画や一つのオブジェによって人々が心を動かされることもある。しかし団地という日常の象徴のような場所で、何がアートたりえるのか? 建築分野ならば答えの方角は導きやすい。まずは空間を人々のために変えていけばいい。では日常の中のアートの存在意義とは? その答えの一端を「サンセルフホテル」に見た気がした。

 

「サンセルフホテル」というアートプロジェクト、それはちょっと複雑な構造をしている。アートが団地の日常の中に、じわじわ浸透していくような感じだ。サンセルフホテルの不思議なプログラムを簡単に説明する。

団地の空き部屋を、一晩だけホテルに変えるプロジェクト。これを仕掛ける作家は北澤潤、東京芸大・日比野研究室で博士課程に属している。

宿泊するゲストは公募によって選ばれた家族。それをもてなすのは団地の住人たちだ。北澤がプロジェクトの内容を団地内に告知し、それに集まった有志たちによってホテルマンのチームがつくられる。どんな人々が集まるかは偶然に委ねられている。小学生から、長年ここに住んでいる65歳まで、十数人が集まった。彼らは毎週、ワークショップを開き、どのようなホテルにするか、どんなサービスを提供するかを話し合い、誰がどんな役割を果たすかを決めていく。作家の北澤はそのきっかけはつくるが、具体的な指示はしない。参加したメンバーが自発的に動くのに寄り添っているような感じだろうか。

いつしかメンバーがそれぞれの役割を発見し、企画内容をつめていく。彼らは少しずつホテルマンになっていく。北澤は会議に出たり出なかったり、主体は作家から団地の住民にいつのまにか移ってゆく。ホテルマンとなった住民たちが手づくりで団地の部屋を客室へつくり変え、ゲストを迎え入れる日を待つ。まだ見ぬお客さんの幸せな顔を思い浮かべながら

サンセルフホテルの宿泊客は、太陽が出ている間に、特製のソーラーワゴンを引き、太陽光を追いかけて充電しなければならない。その電気のみで1泊分の電力をまかない、さらに夜、団地の真ん中にヘリウムガスバルーンの人工太陽に光を灯さなければならない。ホテルマンと宿泊客が協力し合い、自分たちの太陽をつくりあげる。日が暮れて、みんなでつくった太陽を眺める、住民とお客さんとの、何ともいえない一体感を感じる時間が訪れる。

この奇妙な関係は、ゲストとホテルマンの間に独特の絆を生む。ホテルマンたちは我が団地へやってきた客人をもてなす。今までは顔見知りというだけであった住民同士だが、いつしか大きな家族のようになり、お互いの得意なことも分かり合っている。サンセルフホテルは団地の住民が団地の魅力を伝える担い手として、いきいきと活動する場になっていく。

 

作家の北澤はそのプロセスにつかず離れずコミットし続ける。その距離感が独特であり、アートたらしめている。その様子はドキュメント化され、それ自体が作品になっていく。それはクリストを思い起こさせるが、しかし作品のなかに個人が巻き込まれてく様子や、作家の作品に対する関わり方が違っている。偶然や参加者に委ねる部分がずっと大きい。

 

サンセルフホテルとは何なのか?

参加者がそれぞれの役割を「演じている」という意味で、演劇でもある。住民たちが新たな交流を始めるという意味で、コミュニティデザインという見方もできる。団地をホテルへ一時的にコンバージョンしているのは、建築としても示唆的だ。サンセルフホテルはそのすべてであり、どの領域でも捉えられない。捉えられないからこそアートなのかもしれない。

今、アートの位置づけや、それが持つメッセージも変化している。妻有や瀬戸内のように、自然や地方の風景のなかで生まれるアートもある。今でもアートマーケットは健在で、高値で取引される作品もある。デザインや音楽と融合しながらエンタエイメントを帯びる場合もある。

今、アートが持つインパクトとは何なのか。僕らは、社会は、時代は、何をアートに求めるのか。サンセルフホテルという作品、プロジェクト、ワークショップ、現象・・・。それは日常の一部のような作品。アートの形式はここまで流動的でもいいのかと、正直戸惑いながら見ていた。同時にアートが地域やコミュニティ、個人の生活にどんどん介入してくる様に、新しいアートの浸透力を見た。今までのアートはどちらかというとインパクトや違和感で存在感を示していたと思う。しかしこの作品はジワジワと日常のなかに入り込む。

 

今度、2/28(金)千代田アーツ3331で「サンセルフホテル」を巡るシンポジウムを行うことになった。このプロジェクトの正体について考えることは、今のアートや演劇、建築、コミュニティについて考えることに繋がると思う。

「サンセルフホテル」とは、何なのだろうか。

 

申し込みや詳しい情報は下記。

http://www.toride-ap.gr.jp/news/?p=1514

堀川出水団地第2棟改修

2014.2.12 | portfolio

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