新著『RePUBLIC/公共空間のリノベーション』で伝えたかったこと。

2013.9.10 | TEXT

RePUBLIC

 

今、僕がもっとも興味を持っているのが「公共空間」だ。

今までたくさんの住空間や仕事場、商業施設をリノベーションしてきた。前著『都市をリノベーション』では、それをまとめた文章に著した。部分の変化の集積で、いつのまにか面へ、街へ、都市へ変化が拡散していく様子を、この10年、幸いにも体感できたような気がしている。

それを経て、なかなか変わらないと感じているのが公共空間。このミッシング・ピースに取り組みたいと考え、2年くらい前から書き始めた。相変わらず筆が遅い。日常の合間に、少しずつアイデアと取材内容を書き貯めていった。

 

この本のテーマは、公共/パブリックの意味を問い直すこと。

今、公共空間が本当に「公共」として機能しているか、そもそも公共とは何なのか、公共空間とはどこなのか、この本を通し、それを問い直してみたいと考えた。

 

公共空間の在り方に違和感を感じた小さな出来事があった。

それは子どもを連れて近所の小さな公園を訪れたとき。ベンチはすでに浮浪者に占有され近づけなかった。砂場にはペットが糞をするからとネットが張ってあって遊べない。公の公園なのに、およそ開かれた空間ではなかった。おまけに「ボール遊び禁止」と看板も立っている。サッカーボールを抱えてやってきた僕ら親子は、いったいこの空間で何をやっていいのかわからず、途方に暮れるしかなかった。

僕らは公園で何をすればよかったのか。それは小さな違和感だったが、いったんその目線を持つと、公共空間のさまざまなことが気になり始める。

このような経験を通し、日本の公共空間とそれを支える公共概念について考え直したいと思うようになった。それを抽象的に問うのではなく、リノベーションを使って改善する方法を提示したい。まったく新しい公共空間をつくり直すのではなく、すでにある公共空間を少しだけリノベーションすることによって、その使い方、さらには概念までを自然に変えていきたい。小さな変化の集積が、結果的に公共という概念を問い直す流れにつながるのではないか。これがこの本の仮説だ。

 

この10年、たくさんのリノベーションを手掛けて気がついたことがある。それは、リノベーションとは単に建築の再生ではなく、価値観の変革であったということ。

人間を包む空間を変えれば、そこにいる人々の行動や気分も変わる。楽しい空間は人々をハッピーにする。その積み重ねが新しい風景をつくる。空間の変化は社会の変化を喚起するのだ。単純なことだけど、この本をつくるプロセスで改めて感じることができた。

 

僕らは政治家ではないから「公共の概念を変えよう」と声高に言っても説得力がない。建築家をはじめ、空間をつくることを仕事にしている人間ができることは結局、空間や建築で変化を起こし、理想の風景を描くことしかない。

 

本ではOpen Aが手掛けた空間の他にも、さまざまな知恵と工夫で公共空間を見事に生まれ変わらせたケーススタディと、成功のポイント、事業モデル、立ちはだかった障害などを調査した。

例えば武雄市図書館など、大胆な手法で公共施設の新しい運営を提示した例などを多数取材している。空間と方法論のヒント集のようになっている。

それらを並べて思うのは、いつの時代も社会を変えるのは確信的な楽観主義。「まあ、なんとかなるさ」とプロジェクトを起こし、障害にぶつかっては、修正や突破を繰り返しながら実現させている。はじめてみなければ、何も起きない。それを再認識した。

 

そんな気づきをくれた本、9月15日に書店に並びます。

ビジュアルとアイデアたくさん、気楽にめくってみて下さい。

 

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建築基準法の規制緩和について 副大臣に会いに行って来た。

2013.9.9 | TEXT

テレビの番組で鶴保国土交通省副大臣と一緒になり、スタジオの控室で、しつこく建築基準法の規制緩和について話したら、「わかった、今度呼ぶので、ちゃんと話そう」と言われて別れた。相手は副大臣、まあ社交辞令だろうと思っていたたら一週間後に本当に電話がかかってきた。

そういうわけで、短いメモといくつかの実例の図面と写真を持って、国土交通省の副大臣室に向かった。

室内に入ると、人がずらーっと並んでいた。「こ、この人たち何なんだろう?」、一瞬面食らった。名刺交換をすると、審議官、建築指導課、観光庁の課長など、関係各局の責任者たちが勢揃い。「こりゃ、本気だ」。さすがに緊張した。

時間もないだろうから、お礼を述べた上で間髪入れずに説明に入った。

僕が直訴しようと思ったのは、ほぼ一点。

「検査済証」なしの建物に対して、リノベーション可能な手続きルートの整備。

いろいろ言っても伝わらないと思ったし、場所が場所ので、シンプルなメッセージをズドント伝えることが大切だと思ったからだ。

 

あまり知られていないことだが、実は既存建築の半数移以上が現在、「検査済証」なしの状況。それらは確認申請を取得しているものの、完了検査を受けていない。よって「検査済証」の交付を受けていないため、正確に言えば、それ自体が手続き違反で、使用してはいけない状態にある。市民の半数以上が手続き違反の建物のなかで生活していることになる。しかし、それは放置もしくは黙認されてきた(近年、是正傾向にある)。

そのことは国土交通省も認識はしていただろう。しかし、それをまともに是正し始めると、半推移以上の建物が違法ということになり、まさにパンドラの箱を開けてしまうことになるのだ。基本的にそれを黙認していたことは、政府の賢い判断であっただろう。現実に即した、それくらいの冗長性が法律にはあっていいと、個人的には思う。

しかし、それが既存ストック再生の大きな障害になっている。

「検査済証」なしの建物自体が違法性を帯びているため、それをリノベーション・改装することも違法性を帯びることになる。これが、僕らリノベーションをする設計者や開発者にとってはおおきな足かせとなっているのだ。

そのため、大手企業(ディベロッパー、ゼネコンなど)はコンプライアンス上、「検査済証」なしの建物には手が出せない。それが既存ストック再生の大きなプレーキとなっているのは言うまでもない。

 

とくに問題になるのは「用途変更」の確認申請。建物が健全な状態にあっても「検査済証」がない、というだけで用途変更の確認申請を受け付けてくれない。結果、どんなにいいアイデアやデザインでリノベーションが可能であっても、その一点が阻害要因となり再生をあきらめた建物がどれほど多かったことか。コンプライアンスを遵守する事務所、企業であればあるほど動きにくく、それが投資を阻害している。。

僕は、できるだけ冷静にその実情を伝えた。

 

この日、おもしろかったのがその後だ。

「それを放置していたとするなら、行政の怠慢と言われても仕方がないんじゃないか」

副大臣が、かなり厳しい口調で切り出した。

僕はパンドラの箱を放置するしかなかったのは、現場としてわかっていたから、そこはフォローした。そして、「検査済証」なしの建物に対し、何らかの手続きを経て、それに替わるオフィシャルな証書を発行するルートの整備を訴えた。

そこから各局課長を交えたブレストが始まる。国の各局担当トップによるディスカッションである。おぼろげながら、「それはあるかもしれない」と思えるルートが見え始めた。

 

検査済証がない建物を用途変更する場合(確認申請をしたい場合)、確認申請審査を行う民間審査機関が既存建物を検査し、当時の基準法に照らして適合かを現地審査。それを当時の適法状態にまでもどせば、検査済証に替わる証書を発行する、というルートだ。国はそれをオフィシャルなものとして承認する。

これがあれば、用途変更の確認申請を受け付けることが可能となる。

審査機関の新たな収益にもつながるし、行政の手続きや負荷がそれほど増えない。設計や投資をする企業にとっても手続きがシンプル。さらに建物の安全性も保たれ、さらに不健全な状態にある建物を健全化する動機にもなる。この証書があればリノベーションもストックに対する不動産取引もやりやすくなり、活発化を導くだろう。みんながちょっとずつハッピーなはずだ。

「確かに、それはあるかもしれない・・・」

その場にいたみんなが、そこに光を見た。

副大臣は、「よし、とにかくこの問題はなんとかしよう。いつできる」と。

さすが政治家だ。ドラマみたいだった。

 

その後、リノベーション特区を設定することを提案したり、昭和25年にできた基準法の用途分類を再編成すべきだとか言ってみたが、まあそれはあまり刺さらず。僕も、検済証問題がクリアできれば、これらはなんとかなるかなと考え深追いしなかった。

 

一時間弱のミーティング。これが通れば、既存ストックのリノベーションに新しい道が開ける。果たして動き出すだろうか。