水を撒く人

2003.11.15 | TEXT

 

水を撒く人。芝生を踏んで根の様子を見ている、と勝手に僕は想像している

水を撒く人。芝生を踏んで根の様子を見ている、と勝手に僕は想像している

北京通いが続いている。

北京の中心を天安門だとすると、そこから車で東へ30分程度走ったXing Longという郊外の街で、オフィスと商業施設の設計をしている。広野に次々とビルが建っていく。東京では「R」とか言っている僕も、この街では思いっきりスクラップ・アンド・ビルドの真っただ中。

先月は追い込みで、北京に一週間ほど滞在していた。仕事相手のオフィスにプロジェクトルームをもらい、毎日そこに通って仕事をした。とても気持ちのいい部屋でうちのスタッフは「もう日本橋の倉庫になんて戻れない……」と、陽の注ぐ窓のそばでのたまっていた。

窓からは北京の郊外の風景と大きな庭が見えている。そこに気になって仕方がない風景があった。いつも同じ男が庭にたたずんでいるのだ。

男は、毎日朝早くから芝生に水を撒き、芝の根を踏みながら様子を見る。午後になるともう一度軽めに水を撒き、そしてまた丁寧に芝の様子を眺め続ける。その風景は僕がいた5日間、毎日きちっと続いた。休日、風景のなかに男がいないと、言いようもない欠落感があった。

水を撒く人。こういう職業もあるのだ……。 人にはいろいろな種類のやるべきことがある。与えられた仕事を毎日、淡々と、丁寧に繰り返す。その行為はどこか哲学的にも見えたりして……。なぜか妙に心地よかった。

北京には大量の人口が流入し、労働者は余っている。

僕らが泊まっていたのは、仕事相手が用意してくれたサービスアパートメント。彼らが開発したマンションの一部を、来客者用のホテルがわりとして使っているようだった。その分譲マンションのすべてのエレベーターにエレベーターガールがいた。マンション用なのでただでさえ小さく、狭い。そのなかで「3階」と僕が言うと、彼女たちは「3」のボタンを押す。「シェンシェ」とお礼を言う。「ツァイツェン(再見)」と、さよならを言ってエレベーターを出ていく。それが数日続くと、僕の顔を見ただけで黙って「3」のボタンを押してくれるようになった。彼女たちはすごく若く、狭いエレベーターのなかで椅子に座っていて、ほっぺたが健康的に赤い。

この街では雇用を強引につくっているのがよくわかる。通りは人で溢れている。僕らがいたのは郊外だったから、夜にもなると光は少なくかなり暗い。激しい工事のせいか、春風にのって飛んでくる黄砂のせいなのか、いつも埃っぽくかすんでいる。その薄暗がりのなか目を凝らしてよく見ると、屋台が並んでいたり、屋外に台を持ち出してビリヤードをやっていたり、髪を切っていたり……さまざまな姿が浮かび上がる。しかし、瞬く間にそんな風景は失われていくのだろう。怒濤のように動く国家、その一端をかいま見る。水撒く人も、いずれはいなくなる。

レム・コールハースについて書かれたドキュメンタリー『行動主義』(瀧口範子著・TOTO出版)を、早朝の北京空港の滑走路が一望できるカフェで読んでいた。ひどく慌ただしい本で、まったく落ち着かない人生を走り続けている人間の物語だった。それはそれで爽快なものだった。この世界では水撒きもコールハースも一緒に生きている。当たり前。

どうでもいいが、そこのカフェオレは60元もする。800円近い。市内では火鍋(中国のしゃぶしゃぶ)をたらふく食べれる金額だ。うかつだった。

会社名を「Open A」にしようと、ふと思った。今までは都合上「ババアトリエ」なんて言っていたんだけど、どこに言ってもAの馬場としか言われないし、そもそも個人名が冠してあるのは僕らしくもないと思っていた。水撒き男とコールハースを同時に見てしまったことが、スイッチを押したのだろうか。僕の命題というか目標みたいなものをそのまま付けちまおう。

「建築よ開け」

 

司会者やナビゲーターが僕を紹介しようとするとき、みんな悩んで、モゴモゴと「いろんなことをやってる人です」なんて、申し訳なさそうに言うことが多い。そのなかで「うまいこと表現するなあっ」って思ったのが、宮城大学の本江さん。抜群に言葉のセンスのある人だが、「う~ん。建築とその周辺の領域の活性面にいるような人です」。なるほど、そうだったのか。

次々に青空に飛び立っていく飛行機の数を数えながら、ぼんやりそんなことを考えていた。

プロジェクトルームの窓で、オレ様な態度のオレ。確かに、日本橋の倉庫事務所とは、ずいぶん環境が違う。

プロジェクトルームの窓で、オレ様な態度のオレ。確かに、日本橋の倉庫事務所とは、ずいぶん環境が違う。

最後に、うちの事務所(この日からOpen A)で仕事をしている男と北京のディベロッパーの女の子の間で、小さな恋が芽生えているというウワサを聞いた。1カ月以上も常駐しいているとそういうこともあるだろう。北京は今、とてもホットなのだ。

 

*こちらの記事はWEBマガジン「REAL TOKYO」に「水を撒く人」というタイトルで掲載された記事です。

(文=馬場正尊)

ハコダテ・スミカプロジェクト

2003.11.5 | TEXT

 

函館の風景。美しい港町。

函館の風景。美しい港町。

変化の中に身を置くこと。

建築にしろ編集にしろ、僕はそのために仕事をしているんじゃないかと思う。変わっていく、変わり始める時の空気がたまらなく好きなのだ。それに惹かれるように、いろんな街へと移動する。

函館に行って来た。この街にも、そんな空気があった。『情報デザイン入門』を著した渡辺保史さんに呼んでもらった企画に参加するために。

函館は美しい港町だ。開港以来150年近くの歴史と文化が色濃く残り、歴史的建造物や港町独特の旅情をたたえている。多くの小説や映画の舞台にもなっている。しかし、日本中のあらゆる地方都市同様、人口の減少、高齢化の進展、空き家や空き地の増大、産業の衰退、など、数多くの課題が山積しているのも確かだ。

ワークショップの風景。まさに世代も職業も越えた参加者だった。

ワークショップの風景。まさに世代も職業も越えた参加者だった。

「ハコダテ・スミカプロジェクト」と呼ばれるそのイベントは、函館の都市再生の具体的なアイディアを市民がワークショップ形式で出し合い、それを実際に行政に対して提案していこうという試みだ。そもそも主催しているのが函館市であり、地方行政は新しい手法を模索していることが伝わってくる。僕は現地で若く積極的で、粘り強い行政マンの姿と出会った。市民と行政の距離が近いという意味で、そこに東京とは違った種類の可能性を感じることができる。巨大な東京ではとりあえず僕らのような民間(というか物好き)が暴走? して、後から行政を巻き込んでいくという方法しか考えられないけど、函館では併走しようとしているように見えた。

呼んでくれた渡辺さんは、昨年「ハコダテ・スローマップ」という新しい視点の地図を(たぶん勝手に)つくっていて、そういった活動がジワリと場所に浸透していっているのだ。そういった活動は人材を集めるもので、地元で活躍するいろんな才能が集まって運営委員会がつくられていて、そのプロセス、苦労話を酒の肴に聞くのは楽しかった。それはやっぱり、東京のR-projectや、昨年、東京の東側でやったTDB-CE(東京デザイナーズブロック・セントラルイースト)と似ているような気がして、共感できた。

realtokyo18-03 realtokyo18-04

ワークショップの内容を書き出すと長くなるのでそれは関連サイトに任せるが、とにかく驚いたのが小学生から60歳までが参加して一緒に未来の具体的な都市計画を考えるという風景と、そこで出てきた提案のリアリティである。

 

*こちらの記事はWEBマガジン「REAL TOKYO」に「ハコダテ・スミカプロジェクト」というタイトルで掲載された記事です。

(文=馬場正尊)