東京カプセルホテルワンダーランド

2002.7.30 | TEXT

 

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その日、僕が目黒のカプセルホテルに泊まってしまうことになったのには、いくつかの理由がある。不幸な偶然が重なった、としか言いようがない。「Traveling Life」が、この日記のテーマになってはいるものの、まったく東京の事務所で仕事をしている日にまで、カプセルホテルにお世話になってしまうなんて、オレは何をやってるんだろう。

その日、僕はコンペの提出を前に事務所で徹夜覚悟だった。ただ、どうしてもお風呂に入りたいために、最近入会した事務所近くのスポーツクラブに行くことにした。スポーツクラブであるにもかかわらず、そこは僕に、事務所泊まりのときのお風呂として使われてしまっていて、この日も「ちょっとエグザス銭湯行ってきます」と、夜の11時近くに財布片手にふらりと事務所を出た。それが、この日の不幸の始まりだった。
すっきりして事務所に戻ると、鍵が掛かっている。スタッフがみんな帰ってしまっているのだ。仕方なくポケットに鍵を探すと、ない……。スタッフを呼びつけようと携帯電話を探すと、それもない……。全部、事務所のなかにあるのだ。観念して、自宅に帰ろうと思ったのだが、次の瞬間、その鍵も他と同様、事務所の中にあることに気がつく。一瞬、混乱に陥った。
オレはどうすればいいのか? 
数十秒、さまざまな行動のオプションを検索するも、まったく解決策がないことに、次第に気がついていった。
スタッフの携帯や自宅の番号は、誰一人として暗記していない。すべて携帯電話のメモリのなかだ。 スタッフの自宅の所在も、誰一人として知らない。
泊めてくれと頼める女性はおろか友人の一人もいない、というかその連絡手段はまったくない。
それが次々に頭の中で整理されていった後、僕はあることに気がつく。
「オレって、なんて孤独なやつなんだ……」

そして僕は途方に暮れる。

仕方ない。気を取り直して、近くのビジネスホテルに泊まることにする。ビールでも飲みながら、テレビを見て眠りに落ちるのもいいじゃないか。神様が「休め」って言ってるんだな、きっと。
僕は立ち直りは早い。
携帯のない僕は、近くの電話ボックスに、ほんとうに久しぶりに入り、新宿近辺のビジネスホテルに電話し始めた。最初は、ちょっと小洒落たネーミングのホテルを選別していたのだが、どれも満室。余裕がなくなり、かたっぱしから電話するも全部満室。いったいどうなっているんだ。こんな独りの夜にセンチュリーハイアットに泊まるほど、僕は稼いでいなし、そもそもそんなに切ない夜は過ごしたくない。
僕は、さまざまな方法と記憶を必死に検索した。

「目黒に事務所の鍵を持っている友人がいる」
ふと気がついた。部屋番号までは覚えていないが、その事務所には行ったことがあって、場所はわかっている。事務所をシェアしているメンバーのひとりだ。僕は、わらをもすがる思いで、最終の山の手線で目黒に向かった。なぜか手には濡れたタオルを持ったままで。そもそも、今は銭湯(正確に言うとスポーツクラブ)の帰り道でしかないはずだった。
目黒についた。友人の事務所のあるマンションに行った。オートロックだった。部屋番号がわからない。連絡のとりようがない。目の前まできているのに。友人はこのビルの空間の塊のなかの何処かにいるはずなのに。
どうしようもなかった。

そしてまた、僕は途方に暮れる。

トボトボと目黒駅までの道を引き返し始めた。そんな僕に追い打ちを掛けるように、雨が降ってきた。その雨足はあっというまに激しくなる。もう、どうでもよくなってきた。泊まるところも、身を寄せるところもない。電車もなくなってしまった。
仕方なく、目黒駅の交番に入り「あの、この近くに泊まるところないっすかね?」と訪ねてみた。
そこで、カプセルホテルが近くにあることを知る。もうなんでもいい。まずは、そこに行ってみるしかない。
駅から歩くこと5分、それはあった。ふつうのオフィスビルの2階部に、まさしくカプセルを並べただけの空間。
「空いてますか?」
「アイテマス」片言の日本語だった。

助かった。これでなんとか眠る場所が確保できた。一泊3500円。キーは部屋の鍵ではなく、ロッカーの鍵。浴衣に着替え、狭いロビーの自販機でビールを買って黒いボロボロのソファに座って飲み始めた。うまい、安堵感でいっぱいだった。
でも、まだ寝るにはずいぶん早い時間だ。
隣にいた男たちは、中国語で会話している。顔に「不法滞在」と書いてある(ような気がした)。
彼らが去って、今度は真っ黒に焼けた男二人組。最初は、携帯電話の話をしていたのが、そのサイレントモードのバイブレーターの話に移行し、いつのまにかに性器に入れるバイブレーターの話題になっていた。

やっとゆるやかに睡魔がおそってきて「カプセル」のなかに入る。ほんとにカプセルだった。カプセルが並ぶ風景は映画『マトリックス』を思い起こさせた。
インテリアは、超クール。キューブリックのようような70年代デザイン。小さなテレビや、空調、照明のツマミも、カプセルの内部空間のなかにビルドインされている。究極のミニマムな機能空間だ。フューチャーシステムズのデザインのような曲線が美しい。興奮して眠れなくなった。こんな空間をアートでもなんでもなく、日常のなかに当たり前に導入するのは日本くらいなもんだろう。おまけに、ビルの違う階には普通にオフィスが入っている。オフィスとまったく同じビルディングタイプのなかがホテルになっているのだ。
今度、海外から建築家やデザイナーが来たら、間違いなく招待しようと思った。
いつもは考えない、さまざまなことを考えているうちに、やっと少しずつ眠くなっていった。

こうして、僕のワンダーな夜は更けていった。ぐっすり眠ることができた。快適な朝を迎え、シャワーを浴び、何事もなかったように事務所に向かった。いつもより、ちょっと早めの時間に。
クセになりそうだった。時々、泊まりに行こう。

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*こちらの記事はWEBマガジン「REAL TOKYO」に「東京カプセルホテルワンダーランド」というタイトルで掲載された記事です。

(文=馬場正尊)

現代美術の夏休み

2002.7.29 | TEXT

 

帯広競馬場の風景:競馬場という場所が、このイベントを独特のものにしている。

帯広競馬場の風景:競馬場という場所が、このイベントを独特のものにしている。

帯広競馬場の風景

帯広競馬場の風景

帯広に行って来た。そこでは、芹沢高志氏が総合ディレクターを務める現代アートのイベント、『デメーテル』(とかち国際現代アート展)が行われている。蔡國強、オノ・ヨーコ、シネ・ノマド、岩井成昭、金守子、カサグランデ&リンターラ、ヴォルフガング・ヴィンター&ベルトルト・ホルベルト、川俣正、インゴ・ギュンター、nIALL(中村政人、岸健太、田中陽明)の10組のアーティストが帯広の競馬場のなかでインスタレーションを行っている。

A編集部は、次の号の取材と夏休みを兼ねての帯広へ。特別に会場のなかの厩舎の一室を借りて一週間住まわせてもらった。そこは競走馬と調教師が一緒に暮らす空間で、馬小屋と人の住居が隣どうし同じ屋根の下にある。部屋は当然、馬臭かった。落書きやレースの予定表など、活気の余韻のようなものが残っている。小屋にも馬の存在感がありありと残っている。そこで僕らは、編集会議をしたり、PCを広げて原稿を書いたり、麻雀をしたりして過ごした。夏休みの合宿の雰囲気。

この競馬場で行われる「ばんえい競馬」という北海道独特の競馬は、いわゆる競馬とはずいぶん違って、北海道の各地を巡回する。会期中、競馬場は人口700人の街になり、それが終わると誰もいなくなる。1年のなかの数日間だけ街となる、幻のような場所だ。その場所の選択が、なんとも芹沢さんらしいと、現地を見ながら強く思った。10組の作家の選択と「サイトオリエンテッド」と表現されるコンセプトは、まずこの競馬場という場所から始まっている。

競馬場の近くに銭湯を見つけた。しかも温泉だ。独特の緑がかった粘性のあるお湯がとにかく気に入って、毎日、編集部のみんなでわいわいと通った。番台のおばさんに紹介してもらったジンギスカン料理に寄って、また競馬場に戻る。こう書いてしまうと。ほんとに夏休みの絵日記のようにしか見えない……。実際、楽しかった。

次のAでは、オープニング前後の様子を中心に、この『デメーテル』をレポートしたいと思っている。幸いにも、最後の設営や調整を行うアーティストたちに直接話を聞くことができた。彼らにとっても、この競馬場という場所と帯広の広い空は、いつもの現代美術のイベントとは少し様子が違うらしく、ゆったりとした空気のなかで、長いインタビューを行うことができたし、いつもよりちょっと油断したアーティストの素顔のようなものを捉えることができたんじゃないかと思っている。

ちょうどオープニングのときに、台風が上陸した。波乱含みでこの『デメーテル』は始まったのだが、その自然のいたずらがアウトドア(しかもだだっ広い競馬場)でのインスタレーションならではのドラマを生み出すことになった。それが、さらにこのイベントを印象深いものにしたと思う。7月に北海道に台風が来ることなど歴史的に見てもほとんどない。芹沢さんは、半分あきれたように、でも半分は台風到来にわくわくしている子どものような表情をしていた(ように見えた)。実際は、そんな場合ではなかったとは思う。現場は徹夜の大騒ぎだった。

特にその台風の影響をモロに喰らったのが蔡の作品だ。直径30mの巨大なバルーン(UFOと呼ばれていた)が、この日、空に飛び立つはずだった。夕方から、イチかバチかでヘリウムが充填し始められ、その巨体が徐々に姿を現し始めた。夜になり作業のための照明がつけられ、それによってバルーンはライトアップされる。白い塊が次第に大きくなっていく風景は壮観で、その様子は、会場の端からでもよく見えた。この暴風雨のなか、果たしてUFOは浮き上がることができるのか、スタッフの全員がかたずを飲んで見守った。その風景や出来事が、なにより強い印象として残っている。

次の日、まだ緊張の残る現場事務所で蔡をつかまえて話を聞いた。ニコニコしながら、「僕の作品はいろいろな環境が左右する。特に火薬を使うものはね。例えば、行政や警察の人が誰か許可してくれなければ、その作品は成立しないし、もちろんたくさんのボランティアやスタッフの協力がないと成り立たない。こんなふうに天気だって協力してくれないと苦労する。それが全部クリアできてやっとその一瞬が訪れる。そのためには、みんなが見てみたい、と純粋に思うようなものじゃなきゃだめなんだ。「オレが許可しないと、これをみんなが見れなくなる」、と思うと、役人さんもなんとか許可しようと思うでしょ。そして大きな爆発を見る。関わった人誰もが「あそこで、自分があんなふうにがんばったから今この爆発がある」と思える。そのとき、作品は大勢の人のものになっている。

中途半端なものではダメ。徹底的に無駄で、すごくお金もかかって、たくさんの人が巻き込まれる。そうでないと、計画は途中で途切れてしまう。そんなこと、アートか戦争でしかできない」。
僕はまさにその様子、バルーンを上げるために必死になり、現場や事務局が大騒ぎしている、そのプロセスを目の当たりにしたわけだけど、蔡は「それも現代美術さ」と言っているように見えた。

『デメーテル』は、2002年9月23日まで開催されています。
詳細は、http://www.demeter.jp/

そらとぶくじら:台風の強風で、膜や構造体は破損し、UFOは飛ばなかった。しかし、だからこそこの空飛ぶくじらのような姿が印象に残っている。

そらとぶくじら:台風の強風で、膜や構造体は破損し、UFOは飛ばなかった。しかし、だからこそこの空飛ぶくじらのような姿が印象に残っている。

暗闇に光るバルーン:ヘリウムガスを充填する作業は、台風の中徹夜で行われた。「未知との遭遇」のような体験だった。

暗闇に光るバルーン:ヘリウムガスを充填する作業は、台風の中徹夜で行われた。「未知との遭遇」のような体験だった。

 

*こちらの記事はWEBマガジン「REAL TOKYO」に「現代美術の夏休み」というタイトルで掲載された記事です。

(文=馬場正尊)

 

 

Bookshop Café

2002.7.15 | TEXT

「R-project」という仕事に取り組んでいる。それは、昨年、青山を中心に行われた東京デザイナーズブロックに参加していたデザイナーやクリエーター、複数の企業、投資家などによって始められたもので、IDEE社長の黒崎輝男さんが呼びかけ人のようなかたちとなっている。「R」というのはRethink、Renovationのキーワードの頭文字で、なんとなくコードネームとして使っていた表現がそのままプロジェクトの名前となっている。考えて見れば、またアルファベットの頭文字、『A』もそんな感じで始まった(こっちは、ArchitectureやArt、Anonymousの頭文字)。

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 R-project については『新建築』3月号の対談に詳しいが、簡単に言うと機能不全に陥った都市やそれを支えるシステムを考え直し、再生していこうというプロジェクト。僕はその実例やインタビューを集めたコンセプトブックを制作しようと取材を続けている。

 先日、その取材でアメリカに行ってきた。一見、歴史のないように見えるアメリカだが「R」がとてもうまい。ビール工場がオフィスとレジデンスにRされていたり、古いオフィスビルが見事にホテルにRされていたり、デパートがミュージアムになっていたりする事例をたくさん見つけた。スクラップアンドビルドを繰り返してきた日本にとっては新たらしい手法であるかもしれない「R」は、ストック型の国では、どうやら当たり前に行われていることだった。とくにマンハッタンのビル群は、そのほとんどが1900年代の前半に建てられたもので、それを機能変換しながら今でも使い続けている。当たり前のことかもしれないが、改めて個別のビルを見てみるとその変遷は面白い。ビル人生を単一の機能で終えるものはほとんどなさそうだった。

 一方日本では、オフィスビルはオフィスビルとして建てられ、つくられそして壊されている。用途を苦労して変更するより、建て替えたほうが手っ取り早いし面倒を考えるとそのほうが経済的にもリーズナブルだからだ、少なくとも今までは。でも、もうそろそろそのやり方、考え直そうよ、というのがR-projectの趣旨でもある。

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 今回の取材旅行のなかでもっとも気に入ったのが、LAのBookshop cafe。それは古本屋をそのままカフェにしている。改装らしい改装もほとんどしてなかったんじゃないかな(もちろん厨房は入っていたけど)。ホコリをかぶった古本たちも、ここでは空間の道具立てとして壁を埋めている。訪れたのは夜の12時を回っていたけど、そこではPCを広げてミーティングや仕事をしている人、なにやら書き物をしている人など深夜にも関わらず混み合っていた。やたらと仕事をしている人が多かったのが特徴的で、それはやっぱりもとが古本屋だからなんだと思えた。気が利いていたのは無線LANでネットワークにもつながっていたこと。古本屋の空気の名残とそういった今っぽいサービスのギャップが、なんとも言えず心地よかった。

 僕がサラリーマン時代、職場が神田の古本屋街のすぐ近くにあって、その界隈を日常的にウロウロしていていた。床から天井までびっしり本で覆われていて空間的にはものすごく魅力的なんだけど、いったいこの空間(というか古本屋)にどういう顔でどう入っていけばいいのかわからない店がたくさんあったのを覚えている。奥にはかなりの確率で人なつこいとは決して言えないおじさんがどっしり座っているのが見える。そうそう、あんな空間がカフェだったら・・・と思えた。

 同じような内容の仕事をしたとしても、スタバと古本屋のBookshop cafeでは、思いつくアイディアも導き出される結果も、ずいぶん違うような気がしてならない。僕は、洗練された空間のなかより、いろいろな無駄な情報やら蓄積された人々の雑考のなかにまみれながらモノを考えるのが好きだ。「R」的行為の楽しみは、その空間や場所が持っていたコンテクストや空気感が、そのまま新しく附加されたり引かれたりした機能のなかに、ちゃんと残っていることなんだと思う。今、10月の発行に向けて、いろんな「R」を集めている。

 

*こちらの記事はWEBマガジン「REAL TOKYO」に「Bookshop Café」というタイトルで掲載された記事です。

(文=馬場正尊)

Traveling Life

2002.7.15 | TEXT

 

テレビの前には人だかり

テレビの前には人だかり

6月4日、ワールドカップのベルギー戦を羽田空港の待合ロビーのテレビで見終え、そのまま飛び乗った飛行機の中でこの原稿を書くことになった。まだ興奮の余韻が残る。空港の長い通路を、日本が点を獲る度にウォーッ!という歓声が駆け抜けていく様子は壮観だった。移動中の乗客たちも歓声と共に小さいテレビの前に駆け寄ってきてスーツ姿でガッツポーズしてたりして、なかなかシュールだった。今後、空港全体が一つになるっていう不思議なシーンを見ることはまずないだろう。かく言う僕も、いつのまにかに隣の見知らぬサラリーマンとビール片手に「あれのどこがファールなんだ!」と稲本の幻のゴールシーンを巡って一緒に騒ぎ立てていた。

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ガランとした空港

ガランとした空港

 いったい何機の離陸が遅れたことだろう。空港職員は、勘弁してよっていう顔で席を立とうとしない観客、いや乗客たちを搭乗口へせかしていた。ゲームのない東京では、なかなかワールドカップ気分を感じることができなかったけど、意外なところでそれを体験することになってしまった。「こんな日に出張とは……」と、くさっていた僕だけれど、これもこれで忘れなれない風景になりそうだ。いつもとはまったく違う空港の表情。

 『A』vol.13の移動特集でも書いたことがあるけど、僕は空港が好きだ。アノニマスな人々が、次ぎの何処かへ飛び立つ直前のほんの一時を共有する、その刹那な感覚がいい。その号でインタビューした今福龍太氏が、空港を何処にも属さない不思議な中間領域だと評し、そこでの偶然の出会いの美しい描写を話してくれたのを思い出していた。

 沖縄への最終便は空席が目立っている。いつもはこの便もけっこう混んでいることが多いのだが、沖縄が梅雨のためか、やはり日本の初戦のためだろうか。

 沖縄へはかなりの頻度で通っている。嘉手納基地や喜納昌吉や紫といった沖縄ロックで有名なコザ(沖縄市)で仕事をしている、というより実は今年の始めにその街に会社をつくってしまった。最初は、子どものためのワークショップミュージアムのインテリア設計をやっていたのだけど、通っているうちにすっかり場所の虜になってしまい拠点を構えることにした。その会社ではワークショップのための家具や空間のデザインや販売までをやることになっている。

 通い始めると、沖縄と東京は近い。今日も東京でひとしきり仕事を済ませ、最終便で沖縄へ。泡盛と沖縄料理で深夜の夕食(沖縄の夜は深い!)をとって、明日は一日仕事をしてまた最終で東京に帰る。移動の途中もこうやって文章を書いたり、ワールドカップを観戦したりしているわけで、いつもの夜と大きな違いがあるわけでもない。ただ、東京とは違った暖かく湿った空気がちょっとだけ精神のモードを切り替えてくれる。そして、それが僕にとってとても重要だったりする。

 最近は「移動」が生活や仕事のリズムをつくっているような気さえしている。移動と移動のスキマの結節点でミーティングをしたり文章を書いたり、デザイン作業を行ったりしている。何処かに拠点を構えることへの必要性も欲求もどんどん薄らいでいる。『A』の編集室がある、東京にデザインスタジオもある、デスクワークは自宅ですることも多い、沖縄にも会社をつくっちまった……。そのノマディックな状況を楽しめるようになっている。

 そしてまた、こうやってrealtokyoのなかにも小さな場所をもらうことができた。僕にとっては、ここも上記同様、移動の結節点の一つだ。今後、いろいろな場所から都市の描写をしていきたいと思う。

著者

著者

 

*こちらの記事はWEBマガジン「REAL TOKYO」に「Traveling Life」というタイトルで掲載された記事です。

(文=馬場正尊)